よく「環境が人を変える」という人がいます。自己啓発系のセミナー講師などに特に多いですね。しかし、結論から言えば、「環境が人を変える」はウソになります。

なぜ、「環境が人を変える」がウソなのか?理由は、もし、環境が人を変えるのであれば、すべての存在が同じになるはずだからです。そんなことはありえません。

たとえば、進学高に入学した子は全員高学歴になるでしょうか?甲子園常連校に入ったら全員プロ野球選手になれますか?六本木ヒルズの近くに住んだらみんながみんな億万長者になれるでしょうか?変わる人はどんな環境だって変われるし、変わらない人はどんな環境だろうが変わらないのです。

逆のケースではどうでしょうか。進学高に入学できなかったら必ず低学歴になるでしょうか?恵まれない家庭に生まれたからといって必ず貧乏になるでしょうか?不良になるでしょうか?貧しい発展途上国に生まれたらみんながみんな心がすさんでしまうでしょうか?そんなことはありませんよね。つまり、変われる人はどんな環境だろうが変われるのです。

昨日ご紹介した『夜と霧』の著者であるフランクルは、第二次世界大戦時にユダヤ人収容所に収容されました。「環境」の面から考えたら最悪です。今日を生きれるかもわかりません。いつガス室に連れて行かれるかもわからないのです。いつ出られるかも不明。食事もままなりません。理不尽な暴力は日常茶飯事だったでしょう。愛する家族とも離れ離れです。

「環境が人を変える」が真実であれば、全員の心がすさんでしまうことになります。しかし、フランクルに関してはそうではありませんでした。最悪の環境の中にも希望を見出して、なんとか生き残ったのです。「家族」に逢えることを想いながら。環境が彼を変えたのでありません。変わったのは「彼自身」だったのです。

要するに、どんなに悪い環境だろうが、適応し、希望を持てる人もいますし、人に優しくできる人もいるのです。反対に良い環境だろうが、適応できないで、愚痴ばかりをいい、希望を持てない人もいます。どんなに良い環境だろうが、人を傷つける人間はいます。

だから、環境が人を変えるというのは必ずしも真実とはいえないわけです。

では、「環境が人を変える」とは、どういうことでしょうか?

環境が人を変えるのではありません。

その人自身が「変わる」のです。

変わった結果、自然と「環境も変わっていく」ということです。

誰もわたしたちを変えることなんてできません。環境がわたしたちを変えるのでもありません。変わるのはわたしたち自身です。常に「自分発」です。何事も自力が肝要になります。

では、なぜ、自己啓発系のセミナー講師は「変わりたければ環境を変えろ」というのでしょうか?答えは簡単です。自分のセミナーに来てほしいからです。「自分のセミナー=コミュニティという環境にこれば、簡単に人生が変わりますよ。だから、高いお金を払ってうちに来なさい」という意味でもあります(参加しただけで簡単に人生が変わることなんてないのですが)。ここを履き違えてはいけません。

環境や他人が変えてくれると思うと、人生はつらいものになります。待っているのはコントロール不可能な他人依存の人生です。常に自力本願。自分発。自分軸で生きていきましょう。

変わるのはまず自分です。結果、環境は自然と変わっていきます。