【第9回】「ドS先輩」から学んだリーダーが持つべき最強コミュニケーション術=濱潟好古

【第9回】「ドS先輩」から学んだリーダーが持つべき最強コミュニケーション術=濱潟好古

 現在、アメリカ・シアトルが熱いらしい。

 世界のICHIROが古巣シアトルマリナーズに復帰してからこのシアトルという街が気になってしょうがない。

 ICHIRO自身も所属先が決まりまずは一安心というところだろう。一ファンである私もそうではあるが・・・

 この復帰で気になったことがあった。

 それはICHIRO自身がというよりICHIROを取り巻く周囲の反応だ。ICHIROの安打数を自作の「イチ・メーター」でカウントし続けているエイミー・フランツさんはICHIROの古巣復帰を誰よりも喜び、メディアに対してこう言った。「50歳になっても何歳になっても現役を続ける限り応援し続けます」。ファン冥利に尽きるとはまさにこのことだろう。マイアミマーリンズで同僚だったディーゴドンは「また一緒にやれるのが楽しみ。質問が100万個ぐらいある」と新天地でもICHIROを師として仰ぐことを大々的に話している。ちなみにディーゴードンは2015年に首位打者、2014年、2015年、そして2017年には盗塁王を獲得しているメジャーリーグにおけるトッププレイヤーだ。

 ファンも同僚すらも魅了するICHIRO。決して、メディアに対してリップサービスをするようなタイプではないが多くの人がICHIROに影響を受けている。ICHIROのような野球選手になりたいと思っている世の野球小僧は数えきれない。

 なぜ、彼がここまで人を影響させることができるかとふと考えたとき、それは決して実績だけではないと筆者は考える。

 では何だろう。

 

 それは、野球人としての「背中」だ。

 

試合に出る出ないは別として、いつも完全に準備をする。仮に凡打になったとしても決して、バットを地面に叩きつけたりはしない。試合後のインタビューでも発言がブレることはない。そういった野球人ICHIROの背中に周囲は魅了されるのではないだろうか。

 

私自身も学生時代に多大なる影響を受けた先輩がいた。この先輩と出会わなければ今の自分はなかったのではとすら思っている。

本コラムの第7回「リーダーの保身は100害あって一利なし」でも書かせていただいたが、筆者は神奈川県の横須賀市にある防衛大学校を卒業している。幹部自衛官を育成する教育機関だ。一般大学は文部科学省の管轄だが、防衛大学校は防衛省の管轄だ。

一般大学との決定的な違いは学生生活にある。まず、防衛大学校は完全全寮制だ。土日以外は外出できない。1学年に関して言えば、土日の宿泊は禁止だ。さらには、完全縦割り社会だ。4学年をリーダーとして、3学年、2学年、1学年というヒエラルキーの下、下級生たちは学園生活をする。この学園生活のことを「学生舎」と呼んだ。さらには「気力」だけではなく「体力」もつけるという名目で、全学生には運動部に入ることが課せられる。この運動部のことを「校友会」と呼んだ。

私が所属していた校友会は「短艇委員会(たんていいいんかい)」だった。「カッター」と呼ばれる短艇を漕ぐスポーツだ。ここで「カッター」を紹介させていただく。一言で言うと、15名から構成される「手漕ぎボート」のことだ。映画「タイタニック」で、最後にディカプリオ達を救いに行く船、と言ったら想像しやすいかもしれない。マリーンスポーツと言えば聞こえはいいが、そんな生ぬるいものではなかった。防衛大学校の中でも指折りにきつい校友会だった。

「すべてはこの瞬間(とき)のために」という標語の下、毎年5月に行われる「全日本大会」に全てをかける。レースなんてたかだか11分前後であったが、その11分前後のために毎日練習に励むわけだ。努力は裏切らないではないが、過酷な練習の効果もあり筆者自身も3年間で日本一を2回取った。あのときの感動は今でも忘れない。

その「短艇委員会」の先輩に、超がつくほどの「ドS」な先輩がいた。筆者が1学年のときの3学年だ。1学年に対しても相当に厳しかったが、それ以上に自分に対しては本当に厳しい先輩だった。

例えば、他の部員が腕立て伏せを50回するところ、この「ドS先輩」は100回やる。他の部員が200メートルダッシュを5本やるところ「ドS先輩」は10本やるといった具合だ。そこに一切の妥協はなかった。

短艇委員会は海上競技なので練習は「ポンド」と呼ばれる「走水港」の一角で行う。ポンドへと向かう途中に数百段からなる階段がある。我々はその階段は「ポンド階段」と呼んだ。ポンドに向かうときは下りなのでまだいいのだが、帰りは本当にきつい。練習後のパンパンの足で数百段からなる「ポンド階段」を駆け足であがる。もちろん途中で足がからまり脱落する部員もいたが、「ドS先輩」はその脱落した部員をどつく役だった。「ドS先輩」にどつかれながら登り切ったあとには決まってこう言われた。

 

「もう1往復」

 

筆者自身も入部したての体力はない頃はこの「ポンド階段」で本当に苦労した。たまに、「ポンド階段」だけをひたすら何十往復もするという恐ろしい練習メニューの日があった。事前に何往復するかは一切伝えられない。登り切り、そろそろ終わるかなというときに「もう1往復」と言われる。あれは本当にきつかった。初めてこのメニューを行ったとき、もちろん脱落した。確か13往復で脱落した。脱落後は後ろから「ドS先輩」の鉄拳制裁だ。登り切り小休憩に入るのだが水を飲もうとしたときに「ドS先輩」から言われた言葉を今でも忘れない。

 

「権利を主張する前に義務を果たせよ。水飲む前にもう1往復してこい」

入部当初はこの「ドS先輩」が本当に苦手だった。しかし、この感情はすぐさま「尊敬」に変わった。たまたまその日は大雨で練習がオフになった。「ドS先輩」にこれ以上どつかれるのも嫌だったので、自主練も兼ねて「ポンド階段」に行くことにした。

向かう途中に雨が強くなってきたので、1往復だけ上り下りして帰ろうと思った。そんな軽い気持ちでポンド階段を降りようとしたら階段下からものすごい勢いで走ってくる人がいた。「ドS先輩」だった。私は見つかったらやばいと思いポンド階段の死角に隠れた。「ドS先輩」は隠れている私に気づかず黙々と上り下りを続ける。それもたった一人でだ。雨と汗で体からは湯気が出ていた。人の知らないところで常人の何十倍も努力をしていた。翌日の練習から私は「ドS先輩」の背中を追っていた。そして、その背中はいつぞやか憧れに変わった。この人の下でどんなきついことでもやってやろうと思った。共に日本一を味わいたいと思った。

 

「やってみせ いってきかせて させてみて 褒めてやらねば人は動かじ」

 

これは連合艦隊司令長官の山本五十六の名言だ。リーダーは背中で手本を見せなければならない。部下たちの前でやって見せる必要がある。

仕事上、多くの経営者や管理職といった様々なリーダーの方とお会いする機会が多い。「部下に思いが伝わらない」「部下が言われたことしかやらない」「自主的に動く部下がいない」といったことで悩んでいるリーダーは本当に多い。言い方を変えれば「部下で困っている」リーダーたちだ。

解決策を聞かれるときもよくある。

そんなときはまずは「背中で見せてください。率先垂範してください」と言うようにしている。部下に求める前に自分自身の行動を変える必要がある場合が圧倒的に多いからだ。権利を主張する前にリーダーとしての義務を果たす必要がある。誰よりも自分に厳しく目の前のことに立ち向かっているリーダーを見て何も感じない部下はいない。

まずは誰よりも早く出社してみればいい。誰よりも働けばいい。自分のできないことは強制せず、部下ができないで悩んでいるときは、まずは自分でやって見せればいい。

背中で見せることは最強のコミュニケーション術だ。しんどくなるときもあるかもしれないが、動き続ける組織、動き続ける部下は背中で見せ続けるリーダーの下でしか生まれない。

 

あの日、水を飲もうとしたときに「ドS先輩」から言われた一言は、10年以上経った今でも毎日意識している。

 

「権利を主張する前に義務を果たせ」

濱潟好古

チームマネジメント・人材育成コンサルタント。
株式会社ネクストミッション代表取締役。
1982年福岡県生まれ。防衛大学校卒。厳しい規律、徹底された上下関係に耐えきれず600名中120名の同期が自主退校する中、大学一過酷と言われる短艇委員会に入部し、日本一を2回経験。卒業後、IT系ベンチャー企業に営業職として入社。入社2年目から5年目まで売上№1営業マン。6年目に営業部長就任。防大時代に学んだ経験を元に独自に構築した「防大式マネジメント」を導入したところ、2年間で会社全体の売上を160%アップ、中堅、新人と関係なく、すべての営業マンに目標予算を達成させる。2016年、株式会社ネクストミッションを設立。「今いる社員を一流に」をモットーに中小零細企業の社長、大手生命保険会社のリーダー等に「防大式組織マネジメント」研修を開催している。

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