【第10回】メンバー全員を上位20%にする方法=濱潟好古

【第10回】メンバー全員を上位20%にする方法=濱潟好古

「僕には飛び抜けた部分がない。ないけれど、穴もない。だからこそ、途中で変えられることがないし、試合に出場し続けられる。昔はコンプレックスだったことが、今では最強の武器となっている。全てが及第点では使い道がなくても80点、90点ならかけがえのない戦力になれる」

 

これは、阪神タイガース鳥谷敬(とりたに たかし)が書いている「キャプテンシー(角川新書)」の一節だ。

 

 人様に「リーダーシップ」「チームマネジメント」といったことを話す手前上、自分でもインプットは本当に大切にしている。少なくとも週1冊は何かしらの書籍を読む。

 本書はたまたま移動中に駅中の書店で見つけた。もともと野球好きだ。この手の書籍には目がない。しかも鳥谷敬ときた。個人的に大好きな選手だ。まず、ルックスが抜群に良い。

 

 ここで阪神タイガース「鳥谷敬」の紹介をざっくりと行う。

 

 1981年生まれのプロ野球選手だ。記憶に新しいのが2017年9月8日の対DeNA戦でNPB史上50人目の2000本安打を放っている。

 生まれは東京都東村山市。幼少期は西武ライオンズの秋山幸二に死ぬほど憧れて高校は埼玉聖望学園に入学。3年夏に遊撃手兼投手として甲子園に出場。残念ながら、初戦で敗退するものの、強豪早稲田大学に入学。1年時から遊撃手のレギュラーになり、在学中は全試合にスタメン出場。ただ、試合にでるだけではない。2年時の春季リーグでは、リーグ史上最速タイで三冠王を獲得。さらにはチームとしても3年時の春季から4年時の秋季までチームリーグ4連覇に貢献。遊撃手としても通算で5回のベストナインに選ばれる。六大学リーグの押しも押されぬ大スターだ。ちなみに同期には米大リーグでも活躍した現ヤクルトスワローズの青木宣親がいる。

 

 卒業後の2003年には大物新人選手としてダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)、読売ジャイアンツ、埼玉西武ライオンズとセパの強豪チームが獲得を希望する中、「天然芝の球団がいい」と縁もゆかりもない阪神タイガースへぶっこみ入団。

 入団後はチームの顔として、2009年には選手会長に就任し、2012年には野手のキャプテンとなっている。本人曰く、「リーダーシップを発揮する立場ではない」とのことだが、周囲はそれを許さない。

 選手としても先の2000本安打だけでなく、ベストナイン6回、ゴールデングラブ賞5回と申し分ない。そして、特筆すべきは連続出場試合だ。なんと2005年から2017年まで連続で試合に出場し続けている。多少痛いところがあっても試合にでれば治るではないが、スーパースターにも関わらずその泥臭さはファンの心を掴んで離さない。2017年シーズンに関して言えば、顔面にデッドボールを受けた翌日にフェイスガードをつけて代打出場。一般企業でいえば、全身骨折したにも関わらずタクシーに乗ってでも出社するといったところか・・・

 

 そんな鳥谷の著書を読んだ。一番、腑に落ちたのは冒頭の一節だ。

 最近では、「苦手な部分を伸ばしていきましょう」なんていう教育風潮は少なくなっている。変わりに得意な部分を伸ばして伸ばして「オンリーワン」になりましょうといった具合だ。その逆を行くではないが、80点、90点でかけがえのない選手になれると断言している。

 

 本コラムは、「リーダーシップ」「チームマネジメント」といったいわゆる組織論をテーマにしている。確かに自分がリーダーとして考えたときそんな部下がいれば心強いこと限りない。

 営業マンを例に挙げてみよう。クロージングにはめっぽう強いが、顧客フォローが弱い。顧客フォローは強いが新規開拓能力が低い。その手の営業マンよりも、クロージング、顧客フォロー、新規開拓能力、企画力、提案力と全て80点、90点の方が良い。総合力が高い方が心強い。人材不足の昨今、営業マンの転職市場も活発だ。クロージングがめっぽう強い営業マンが突然「転職をしたい」と言い出すとリーダーとしては困る。替えがいないからだ。組織としてのクロージング能力が一気に下がる。他に関しても同様だ。それが、全てのプロセスにおいてそこそこの成果を上げるといった営業マンを何名も育成すれば、退職した後のリスク分散にもなる。

そして何よりも、爆発的な売上を上げることはないが、何カ月にもわたり安定した売上を上げ続けてくれる営業マンは営業戦略を考えるときに大いに計算できる。

 

私事で恐縮であるが、私が初めて管理職になったときの話だ。

当時は100年に一度の大不況と言われたリーマンショックの直後だった。当時はIT業界に身を置いていた。金融機関をはじめとする大手エンドユーザーが次々とIT投資を止めていき、その影響で当時勤めていた会社の売上も下がっていった。下請け企業の怖いところだ。

会社の経営陣たちも生き残るためにリストラ、減給を行った。会社がなくなってしまえば全社員が路頭に迷うことになる。当時の経営陣たちも苦渋の決断だったに違いない。

そんなときに上司が突然退職し、私は管理職になった。任せられたのは「営業部」だった。私自身も管理職になる前までは4年連続でトップセールスを取っていた。「何とかなるだろう」と高をくくっていたが、そうは問屋が卸さなかった。

一番、頭を悩ませたことは計算していた優秀な営業マンたちがリストラ、減給を繰り返す会社に不信を持ち次々と退職していったことだ。退職した営業マンたちはみながみなクロージング能力に特化しているものたちだった。顧客フォローや資料作成といった地味なプロセスよりもとにかく売上アップに直結するクロージングを何よりも重要視している者たちだった。もっと言うと、当時の営業部の売上アップは彼らのクロージング能力抜きにしては考えられなかった。

そんな頼りにしていた営業マンたちが退職した。残った営業マンと言えば、「過去に2回リストラ宣告されたもの」「給与をはじめとする会社の福利厚生が次々と変わり、会社に不信しかもっていないもの」「そもそも営業という職種に全く興味がないもの」と本当に散々だった。

 

とは言え、会社は永続しなければならない。経営陣は彼らの力をフルに使い、売上を上げろという。

当時、周囲からは「期待している」なんて言われたことがない。皆が皆、同情してくれた。

 

途方に暮れたが、今思うと当時の状況には本当に感謝している。理由は「80点、90点の営業マンを育成し、組織としての成果を上げることに成功したからだ」。

 

ではどのように教育したかを紹介する。

まず、教育以前に前提にあるのは「落ちこぼれなんて誰一人作らない」「誰一人として絶対に見捨てない」というマインドだ。これがないと、どんなスキームを導入しても成果は上がらない。

当時の私は残ったメンバーの強みがどこなのかが全く分からなかった。そこで、「まずは、強みを知ろう」という軽い気持ちで担当している仕事内容を変えて、様々な仕事を経験してもらうことにした。「ジョブローテーション制度」と名付け、まずは運用してみた。

様々な仕事を経験するはいいが、どれもこれも中途半端になるのでは本末転倒なので、事前に出すべき成果はすべて数値化していて、その数値をクリアしたら次の仕事に移ってもらった。数値に関しても「売上」といった不確実なことではなく、「コール数」「顧客訪問数」「提案数」といった時間をかければ初心者でもできる内容にした。

 

人が辞めることに恐怖心を抱いていた。誰が欠けても最低限の成果を出す組織にしたかった。そして、このジョブローテーションが一通り終わった段階で、誰が、どの「役割」に一番マッチしているのかを決めて、その役割を全うしてもらうようにしてみた。

すると誰にも期待されていなかった組織だったにも関わらず、2年間足らずで売上が160%アップした。

当然、辞めていく営業マンもいた。その人しか持っていないノウハウもあった。営業マンが辞めても組織は存続するし、誰がいつ抜けても成果を出し続けなければならない。

組織には「2:6:2」の法則なるものがある。底辺の2割は落ちこぼれだ。やる気もない、結果も出さない。真ん中の6割はそこそこ成果を出す人材だ。

優秀な営業マン同様に、下位8割の営業マンたちにも上位2割の営業マンと同様な成果を出してもらいたい。そのためには彼らに様々な仕事を経験させ、個人の力を上げる必要があった。そこで導入したのが「ジョブローテーション制度」だった。

全てのプロセスを経験してもらうことにより、業績アップに必要なプロセスにおいては80点、90点ではあるが、確実に応えてくれた。人が辞めても変わりの人がそのタスクをフォローする体制を作ることができた。

優秀な人がいなくなっても、残ったメンバーで最大の成果を出す。落ちこぼれなんて一人も作らない。

ジョブローテーション制度でもまれた社員のほとんどが今ではリーダーになっている。

 

 先の鳥谷だが、本書の締めくくりでこう言っている。

 

「キャプテンに正解はない。どんなに覇気を感じさせようとも、チームが負ければいいキャプテンとは言えない。チームが勝てばそれがいいキャプテンなのだ」

 

 優秀なメンバーだろうが、なんだろうがそこは関係ない。リーダーは勝ち続けるための戦略を考え、実践し、組織を勝たせてもらいたい。

 そのための一つの「やり方」としてこのジョブローテーション制度をまずは試してもらいたい。

濱潟好古

チームマネジメント・人材育成コンサルタント。
株式会社ネクストミッション代表取締役。
1982年福岡県生まれ。防衛大学校卒。厳しい規律、徹底された上下関係に耐えきれず600名中120名の同期が自主退校する中、大学一過酷と言われる短艇委員会に入部し、日本一を2回経験。卒業後、IT系ベンチャー企業に営業職として入社。入社2年目から5年目まで売上№1営業マン。6年目に営業部長就任。防大時代に学んだ経験を元に独自に構築した「防大式マネジメント」を導入したところ、2年間で会社全体の売上を160%アップ、中堅、新人と関係なく、すべての営業マンに目標予算を達成させる。2016年、株式会社ネクストミッションを設立。「今いる社員を一流に」をモットーに中小零細企業の社長、大手生命保険会社のリーダー等に「防大式組織マネジメント」研修を開催している。

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