【第8回】「男・村田修一」から学んだ人を惹きつけるリーダーが持っている3つの条件

【第8回】「男・村田修一」から学んだ人を惹きつけるリーダーが持っている3つの条件

2018年3月7日に野球ファンとしてはうれしいニュースが飛び込んできた。

 

米大リーグマイアミ・マーリンズからフリーエージェント(以下、FA)になっていたレジェンドイチローが古巣シアトル・マリナーズに復帰するというものだ。

史上稀に見る米大リーグの冷え切ったFA市場は日米のレジェンドであるイチローの来季所属先決定を大いに遅らせた。一ファンとしても本当にヤキモキした。

復帰会見では、「よく50歳まで現役という話をされますが、僕は最低50歳といつも言っているので、そこは誤解しないでほしい」と何ともイチローらしいコメントをかましてくれた。来季の活躍が楽しみだ。

 

そして、驚くべきニュースはまだ続く。同月9日に、09年からメジャー挑戦を続けていた元読売巨人軍の上原浩二が古巣巨人へ電撃復帰した。当初はメジャーリーグ以外であれば「引退」だと決めていたが「やっぱり野球がやりたい。期待してくれる球団があるなら、そこで燃え尽きたいという気持ちが強くなった」と自分の気持ちと真っ向から向き合い、マーケットを変えてまた野球界に貢献することを誓った。日米通算134勝、128セーブを叩きだしている右腕の活躍が今から楽しみでしかたない。

 

本コラムでは筆者が日米問わずプロ野球ファンということで頻繁に野球ネタが登場するが、正直に言おう。プロ野球の世界ほど怖いものはない。第一に全員が個人事業主だ。そこには何の保証もない。そして、驚くべきことが平均引退年齢29歳という若さだ。一般企業でいえば、ようやく脂がのってきた時期に解雇されるということと同じだ。一見華やかな世界ではあるが、現実はシビアだ。毎年、ドラフトで数十名のプロ野球選手が生まれる一方で、数十名のプロ野球選手が球界を去っている。毎年TBSが放送するドキュメンタリー「プロ野球戦力外通告~クビを宣告された男達~」は涙抜きでは見ることすら憚れる。突然の非常な戦力外宣告を言い渡された男達が家族のため、自分のためにトライアウトに挑むという内容だ。

 

こうした背景の下、筆者自身、一番気になっていた選手がいた。

 

村田修一(37)元読売巨人軍。

 

馴染みない方もいるだろうから村田を紹介をすると、福岡県の強豪・東福岡高校で投手として、夏の甲子園へ出場。地方大会で見せた村田の投球とホームランは今でも忘れない。卒業後は日本大学に進学し、その後、即戦力として横浜ベイスターズ(現:DeNAベイスターズ)に2002年自由枠で入団する。同い年にはあの平成の怪物「松坂大輔」がいる。横浜ベイスターズで順調にキャリアを積む。いや、輝かしいキャリアと言ってよいだろう。2007年、2008年には2年連続で本塁打王にもなっている。ホームランアーチストとしてもそうだが、太めの体からは想像すらつかない右へ左への軽快なフットワークで守備の達人に贈られるゴールデングラブ賞も獲得している。それも複数回だ。いわば球界を代表する一流選手だ。2011年12月8日にはFA宣言をして、読売巨人軍へ入団。何を隠そう、12月8日は筆者が初めて付き合った彼女の誕生日だ。何かの縁と勝手に感じつつ、同時に喜ばしく思ったことを昨日のように思い出す。球界の盟主である読売巨人軍ではプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも長嶋茂雄、原辰徳も守った華のサードを5年も死守する。ファンからは「男村田」なんて呼ばれ、愛されキャラとしての地位も確立する。この5年もの間、東京ドームでは村田のレプリカユニフォームを着るヤンキー女子を何度見たことか。

そんな村田が2017年10月13日に戦力外通告を受けた。FA移籍では人的補償が発生するという理由で自由契約扱いとなった。GMの鹿取義隆は「チームの若返りのために苦渋の決断をした」とメディアに伝えた。力のあるものが残り、力のないものが去るのがプロ野球界の諸行無常とは言え、筆者自身、驚いた。確かに衰えたとは言え、まだまだ現役バリバリでホットポジションであるサードを一年間守り切る力が村田にはあった。

移籍先はすぐに決まるだろうと多くのOBそしてプロ野球ファンは高をくくっていたが現実は違った。全く決まらない。

 

自由契約になった当日、村田はメディアにこう伝えた。

 

「優勝したいと思って巨人にきて、3回も優勝させてもらって感謝しているし、自分も少しは貢献できたのかなと思う。打てないときでもファンの皆様からはいつも温かい声援をもらい、いつも満員の球場で野球をさせてもらって、本当にありがたかったです」

 

そこには恨みつらみは一切なかった。

誰も否定しない、誰のせいにもしない、全ては自分の力のせいだ、むしろ周囲には感謝をしている。

そんなメッセージを村田から受け取ったような気がした。

 

所属先が決まらないまま、ただひたすら声のかかるのを待つ日々。1月24日には神奈川県厚木市内で約3週間続けてきた「一人キャンプ」を切り上げ、その後は自宅のある神奈川県内と実家のある福岡県内でたった一人の孤独のトレーニングを行う。妥協のないハードトレーニングは例年のシーズン中よりも引きしまった体を作り上げていた。メディアからの取材に対しても「笑顔」で答える。決して暗さは見せない。

今いる状況に対して周囲を責めない、ましては自分を責めることもない。責めたところで現状は何一つ変わらない。「声さえかかればいつでも動ける状態にしておこうと思います」とただひたすらやるべきことを地道に続ける毎日だ。

 

これを一般企業に置き換えてみたらどうだろうか。会社で「重役」を務めていた人がある日突然に「解雇」されるが解雇した会社にも理由があったのだろうと会社を否定せず、周囲も否定せず、ただ黙々と転職活動を続けているといった状況だろうか。

 

本コラムはリーダー、マネージャ向けということもあり、ここで本コラムの趣旨に戻る。

職業柄、多くの経営者や中間管理職を初めとする世のリーダーと接する機会が多いが、彼らから出てくる言葉で気になることがある。思っている通りに成果が出ているときは、良いのだが、成果がでなくなるとどうも後ろ向きな発言をするリーダーが意外に多い。頭の中では、分かっているのだろうがついつい、多くのリーダーたちが、うまく成果が上がらなくなると周囲のせいにしたり、部下のせいにしたり、そして自分のせいにしたりする。「〇〇のせいにする」ということは「〇〇を否定している」ということと同じだ。

環境を否定し、周囲の人を否定し、自分すら否定するリーダーが引っ張る組織の成果が上がることはまずない。それどころかそんなリーダーがいる組織は衰退する。厳しいマーケットで生き残ることはできない。

一方で抜群の成果を上げているリーダーも多くいる。メンバー全員が生き生きと仕事をしている。仕事が楽しくてしょうがないという空気すら感じる。完全にリーダーがメンバーを惹きつけている。彼らに共通していることは大きく3つだ。

 

1つ目は、人を惹きつけるリーダーは決して自己否定も他者否定もしないということだ。

仕事というものは、自分が思っている通りにうまくいくことはなかなかない。それは先の村田も同じだ。自分が思っている通りの契約は望めなかった。常にトライ・アンド・エラーの連続だ。100%思い通りに行かなかった結果に対して、自分を否定したり、周囲を否定する時間ほどもったいないことはない。「否定する前にやるべきこと」がある。

「お客様へのアプローチは正しかったか」

「部下に対しての発言は正しかったか」

「もっとうまい時間の使い方はなかったのか」

「準備は万端だったか」など、自分自身への行動内容を振り返り、正しい行動だったかを考え続け、改善があれば修正することがリーダーの仕事だ。自己も他者も否定している暇などそこにはない。

 

2つ目は、人を惹きつけるリーダーはメンバーにすら自己否定をさせないということだ。

リーダーになると自分のことだけでなくメンバーの感情にも焦点を当てる必要がある。

メンバーが自己否定をするようになるとチームの空気が一気に悪くなる。リーダーの仕事は「メンバーのポテンシャルを最大限に引き出し、メンバーの力を借りて、組織として最大のアウトプットを出すこと」だ。メンバーに自己否定をさせているうちはメンバーのポテンシャルを最大限に引き出すことはできない。組織として「最高」のアウトプットが出せないということだ。

 

そして、3つ目が人を惹きつけるリーダーはメンバーの感情に焦点を当てコミュニケーションを図っているということだ。

メンバーの感情に焦点を当てるということがメンバーのポテンシャルを最大限発揮させるための唯一の近道だ。私事で恐縮ではあるが、私が初めて管理職になったとき、自分に自信が持てずに自己否定ばかりするメンバーがいた。仕事がうまくいかず、落ち込んでばかりいる部下もいた。そんなときこそ、リーダーは、メンバーの感情に焦点を当てて、客観的に状況を把握し、共に対応策を考えなければならない。決して、メンバーを否定してはいけないし、メンバーに自己否定もさせてはいけない。全ては最高のアウトプットを出すためだ。

 

人を惹きつけるリーダーは上記3点を必ず持っている。

 

自分や部下を否定している暇があれば、やり方を改善し続ける。

それは、一般社会でもプロ野球界でも変わらない。

自由契約になって所属先が決まらなければ、今できるトレーニングを考え、実践し、所属先から声がかかるのを待ち続けていた「男」村田から世のリーダーに必要であり、とても大切なことを学んだ。

 

2018年3月5日、国内の独立リーグである栃木ゴールデンブレーブスに入団が決定した。NPB(日本プロ野球機構)ではなかったがすっきりした顔で会見時にはこう言った。

 

「若い選手が多い中で、手本になれるよう、野球に取り組んでいきたい」

 

プレイヤーとしても楽しみではあるが、今後十数年経った後に指導者として日本プロ野球に戻ってくるであろう村田のことがこれから楽しみでしょうがない。

 

 

 

 

 

 

 

濱潟好古

チームマネジメント・人材育成コンサルタント。
株式会社ネクストミッション代表取締役。
1982年福岡県生まれ。防衛大学校卒。厳しい規律、徹底された上下関係に耐えきれず600名中120名の同期が自主退校する中、大学一過酷と言われる短艇委員会に入部し、日本一を2回経験。卒業後、IT系ベンチャー企業に営業職として入社。入社2年目から5年目まで売上№1営業マン。6年目に営業部長就任。防大時代に学んだ経験を元に独自に構築した「防大式マネジメント」を導入したところ、2年間で会社全体の売上を160%アップ、中堅、新人と関係なく、すべての営業マンに目標予算を達成させる。2016年、株式会社ネクストミッションを設立。「今いる社員を一流に」をモットーに中小零細企業の社長、大手生命保険会社のリーダー等に「防大式組織マネジメント」研修を開催している。

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